Hola Amigos!るちゃ男です。
メキシコの「ルチャリブレ」の歴史において、21世紀に最も強烈な光と影を残した男といえば、誰もが彼の名前を挙げるでしょう。
イホ・デ・ペロ・アグアヨ(El Hijo del Perro Aguayo)
日本のプロレス界でも「2世レスラー」の背負う重圧は並大抵のものではありませんが、彼の歩んだ道は、その何倍も過酷で、そして信じられないほどドラマチックでした。
今回は、彼が幼少期からどのような十字架を背負い、いかにして団体の頂点へ登り詰め、そして人気絶頂の中で誰も予想し得なかった「大勝負」に出たのか。彼のキャリアの原点である「若手時代の苦悩」と「AAA(トリプレア)での大覚醒・電撃退団」にスポットを当て、紹介したいと思います。今回もよろしくお願いします。
文:るちゃ男yAI記者GEMINI
15歳での天才デビューと「スーペル・エストレージャ」の十字架
イホ・デ・ペロ・アグアヨ(本名:ペドロ・アグアヨ・ラミレス)は1979年、メキシコマット界の伝説ペロ・アグアヨの長男として誕生しました。
父親の「ペロ・アグアヨ」といえば、日本でもアントニオ猪木、グラン浜田、初代タイガーマスクらと血で血を洗う大激闘を繰り広げた、ルチャ界の歴史そのものと言える国民的英雄です。リング上で見せる凄まじい狂気と泥臭いファイトで、メキシコ中を熱狂させたまさに「スーパースター」でした。

そんな偉大な父の現役時代、1995年に彼はわずか15歳という若さで大手団体AAAからプロデビューを果たします。当然、ファンやメディアからは「あのペロ・アグアヨの息子がデビューする!」と、とてつもない注目を集めました。
・イホ・デ・ペロ・アグアヨのAAAデビューはテクニコのセコンドでした。
容赦なき「親の七光り」ブーイング
デビュー当初の彼は、正義の味方であるテクニコとして売り出されました。10代半ばとは思えない天性のスピードとセンスを武器に、フベントゥ・ゲレーラといった同世代の若手実力派たちと華麗な軽量級の王座を争い、リング上で必死に躍動します。1995年のアメリカの専門誌『Wrestling Observer』ではルーキー・オブ・ザ・イヤー(最優秀新人賞)を受賞するなど、専門家からの評価は非常に高いものでした。
しかし、現場の熱狂的なルチャファンの反応は冷酷そのものでした。 どれだけ素晴らしい試合をして勝っても、会場を包むのは「親の七光りでいいポジションにいるだけ」「親父のような胸を熱くさせる狂気もカリスマ性もない」という容赦のない大ブーイング。
ファンは彼の中に常に「偉大な父親の幻影」を求め、少しでもそれに届かなければ冷たく突き放しました。「ペロ・アグアヨの息子」という看板は、10代の彼にとって、いくら実力を証明しても抜け出せない「巨大な監獄」のようになっていたのです。
AAAでの大覚醒:己の力で掴み取ったトップスターの座
多くの2世レスラーがこの重圧に押しつぶされていく中、彼は父親譲りの「底なしの負けん気」で運命をねじ伏せ始めます。
2000年代に入る頃、彼は自身のファイトスタイルを大きくモデルチェンジします。それまでのクリーンな空中戦だけでなく、父親の代名詞でもあった「泥臭いラフファイト」を継承。さらに、レフェリーの目を盗む狡猾なインサイドワークと、観客をこれでもかと罵倒するマイクパフォーマンスを身につけルードとしての才能を完全に開花させたのです。
・彼は自分の力で、AAAのタイトルを次々と強奪していきました。
メキシカン・ナショナル・ライトヘビー級王座(シングル王座)
メキシカン・ナショナル・タッグ王座(計3回戴冠。うち2回は実の父親との親子タッグ、1回は最高の相棒ヘクトル・ガルサとのコンビ)
メキシカン・ナショナル・アトミコス王座(若手2世レスラーたちで結成した『ロス・ジュニア・アトミコス』として獲得)
シングル、タッグ、4人組王座にいたるまで、AAAの主要なナショナルタイトルを総なめ。さらにビッグマッチでは宿敵たちの髪の毛を賭け試合(カベセラ・コントラ・カベセラ)で次々と刈り落としていきました。
気がつけば彼は、「親の七光り」と揶揄された少年から、「彼が出場すれば会場が超満員になる」という、AAAの興行を一本で支える団体最高のトップスターであり、最大のドル箱レスラーへと上り詰めていたのです。ファンは彼の放つ圧倒的な悪の魅力に、ブーイングではなく熱狂的な大歓声を送るようになっていました。
Youtube動画: HIJO DEL PERRO AGUAYO en LUCHAS de APUESTA』ーイホ・デ・ペロ・アグアヨが掴み取った偉大なる勝利の数々ー
この映像に収められているのは、彼がAAAのトップへと駆け上がる過程で繰り広げた、地獄のようなカベジェラ・コントラ・カベジェラ(髪切りマッチ)のダイジェストです。
マスカラ・サクラダのような大人気マスクマンから、エル・テハノ、エル・コバルデといったルチャ界の頑固なベテラン・実力派たちを相手に、頭部から鮮血を流しながら泥臭く、しかし最後は狡猾に勝利を収める姿が記録されています。
のちに「ペロス・デル・マール」で最高の相棒となるヘクター・ガルサと、若き日にお互いの髪を賭けて激突していた至高のライバル関係なども網羅されており、まさに彼の「大スターへの階段」が鮮血とともに描かれた一級品の記録映像です。
2003年、人気絶頂での「AAA電撃退団」という大勝負
2003年、人気・実力ともにAAAの頂点に君臨し、これ以上ない最高待遇を受けていた彼ですが、突如としてAAAを退団するという電撃的な決断を下します。
安定した地位、約束された大金、そして自分を育ててくれた団体を自ら飛び出し、彼は完全アウェイとなるライバル団体、メキシコの老舗にして総本山であるCMLLへと移籍したのです。この退団劇は当時のルチャ界を揺るがす大事件となりましたが、ここには彼のレスラーとしての不退転の「覚悟」がありました。
なぜ、絶頂期に全てを捨てて退団したのか?
当時のAAAは、派手な演出やエンタメ路線を重視する傾向にありました。そこで頂点を極めた彼は、「よりクラシカルで、泥臭く激しい闘い」が求められる伝統のCMLLのリングで、「父親の看板を完全に外し、一人のレスラーとして自分の実力がどこまで通用するのか」を試したいという強い渇望を抱くようになったのです。
そしてもう一つの理由は、やはり「父親の歴史」でした。 父ペロ・アグアヨは、かつてCMLLのトップとして一世を風靡した後、1992年のAAAの旗揚げに参加したという歴史を持っています。息子である彼は、あえてその逆のルート(AAAからCMLLへ)を進むことで、「父親の歴史をただなぞるのではない、自分だけの新しいレスラー人生を切り拓く」という最大の賭けに出たのです。
エピローグ:その後の大爆発と永遠のレガシー
このAAA退団という大勝負は大成功を収めます。CMLLに乗り込んだ彼は、のちに世界的なブームを起こす超新星「初代ミスティコ」との世紀の大抗争を展開。その後、自身のユニットを率いて独立し、2010年には再びAAAへ「侵略者」として電撃復帰を果たします。
復帰後のAAAでも、春の祭典「レイ・デ・レイエス(2012年)」を制し、年間最大の祭典トリプレマニアでの「コパ・トリプレマニアXXII(2014年)」で優勝するなど、亡くなる直前までルチャ界のトップに君臨し続けました。
2015年に35歳という若さで急逝した直後、AAAが彼を即座に「AAA殿堂(Salón de la Fama AAA)」に選出したことからも、彼がいかに特別な存在であったかが分かります。「偉大な父親」という巨大すぎる呪縛に苦しみ、それを己の血と汗で撥ね退け、あえて敷かれたレールを爆破して我が道を突き進んだ男。
イホ・デ・ペロ・アグアヨが魅せたあの激しい生き様は、今もメキシコの空に眩しく輝いています。



