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【ルチャリブレの伝説】ペロ・アグアヨとは?ルチャリブレ最凶の狂犬の生涯を徹底解説!

Hola Amigos! るちゃ男です。

ルチャリブレの歴史において、エル・サントミル・マスカラスといった英雄たちに並ぶ絶大な人気を誇った伝説のスーパースターがいます。

それが、日本でも「山犬」や「狂犬」の異名で愛されたペロ・アグアヨ(Perro Aguayo)です。

今回は、貧困から這い上がり、団体の垣根を越えてメキシコ・マット界の頂点に君臨し続けた彼の激動の生涯を、生い立ちから晩年まで紹介します。のちのメキシコマット界を支配する一大ユニットへと繋がる「犬(Perro)の遺伝子」の原点を、ぜひその目に焼き付けてください!

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ハリスコ州での苦難と名門でのプロデビュー

ペロ・アグアヨは1946年ハリスコ州(現在のサカテカス州境)の貧しい農家に生まれました。幼少期から各地を転々とする過酷な少年時代を過ごし、移り住んだグアダラハラでは靴磨きやレンガ職人、パン職人など、ありとあらゆる肉体労働を経験します。

しかし、この厳しい労働こそが、のちにリングで大暴れする「タフで頑強な鉄の肉体」を自然と作り上げました。

16歳でルチャの道を志した彼は、グアダラハラが誇る伝説の名トレーナーディアブロ・ベラスコのジムに入門。ベラスコからアマチュアレスリングの厳格な基礎を徹底的に叩き込まれました。そして1970年5月10日、当時の大看板であるレジェンド、アルフォンソ・ダンテスを相手に華々しいデビューを果たしました。

伝統への反逆が生んだ「最恐のルード」

1970年代、ルチャリブレ界はミル・マスカラスエル・カネックDr・ワグナーといった、人気マスクマンたちが主役(テクニコ)として絶大な人気を誇る時代でした。その中にあって、彼は素顔のままサカテカス州ノチストランという故郷の誇りを胸に、カウボーイ風のモコモコとしたウールブーツを履いてリングに登場しました。

リングネームは「ペロ・アグアヨ(Perro Aguayo)」。スペイン語で「犬」を意味する名を独立して冠した男のルチャリブレは、当時の華やかな美学を真っ向から否定する、血と肉飛沫が舞うような過激なラフファイトでした。

鉄柵に相手を叩きつけ、凶器を辞さず、リング上を血の海に変える。その獰猛さから「ノチストランの狂犬(El Perro de Nochistlán)」と恐れられた彼は、どんなに激しいブーイングを浴びようとも、一切ブレずに相手を叩き潰しました。しかし、その容赦のない姿に、観客は恐怖と共に「本物の男の強さ」を見出し、いつしか熱狂的なリスペクトを寄せるようになっていったのです。

NWAとUWAでの栄光:宿敵・グラン浜田との激闘

デビュー後、頭をかきむしり流血をも辞さないスタイルで頭角を現したアグアヨは、1970年代中盤にEMLL(現CMLL)を舞台に伝統あるNWA世界ミドル級王座を獲得。さらに1975年、新団体UWA(ユニバーサル・レスリング・アソシエーション)が旗揚げされると、その中心メンバーとして移籍します。

UWAでのアグアヨの活躍は凄まじく、初代UWA世界ジュニアライトヘビー級王者に輝いたのを皮切りに、ライトヘビー級、そして最高峰のヘビー級王座までをも強奪UWAの3階級制覇を成し遂げ、団体を牽引する絶対的な存在となりました。

そして、同じ時代に彼と「宿命のライバル」として激戦を繰り広げたのが、日本から渡ったグラン浜田選手です。 二人は軽量級の常識を覆す過激なファイトで日墨のファンを熱狂させました。1981年に新設された伝統の至宝「UWA世界WWFライトヘビー級王座」の初代王者に君臨したアグアヨは、その後もグラン浜田選手ら強豪とこのベルトを巡って激突。その重厚なチャンピオンベルトを腰に巻いた彼の姿は、「最強のルード王者」の象徴として今も語り継がれています。

もちろん国内での抗争も苛烈を極め、「銀色のマスクマン」エル・サントの現役最後のライバルを務め、その息子であるエル・イホ・デル・サントとも何年にもわたり血で血を洗う因縁のドラマを展開しました。何千試合もの修羅場を生き抜いた証である、ボコボコに隆起した彼の額の傷跡。それこそが、彼がメキシコマット界の頂点に君臨し続けた揺るぎないプライドの象徴でした。

AAAの旗揚げとテクニコ転向:空前の大ブームへ

1992年、アントニオ・ペーニャが新団体「AAA(トリプレ・ア)」を旗揚げすると、アグアヨはキャリアの大きな転換期を迎えます。

それまでメキシコ最凶の悪役として暴れていたアグアヨですが、AAAではテクニコへと転向。これが判官贔屓のメキシコファンの心を掴み、彼の人気は爆発的なものとなりました。

特に、若き天才コナンとの抗争や、宿敵シエン・カラスとの「髪切りマッチ(カベジェラ・コントラ・カベジェラ)」は、野球場や闘牛場を満員にする社会現象となりました。マスクを被らない「素顔」のレスラーでありながら、ルチャリブレ史上最も多くの観客を動員できる、唯一無二の国民的英雄となったのです。

写真元:blog_fernando_lucha
写真元:losidolosdelring

まとめ:激闘の果てに刻まれた伝説

2000年代に入ってからもスポット参戦を続け、2000年にはCMLLのリングで長年のライバルであるサングレ・チカナを破り髪を剃り落とすなど、その執念は衰えを知りませんでした。誰とも群れることを嫌い、常にたった一人で巨大な壁に立ち向かい続けたその「孤高の美学」は、ルチャの歴史に深く刻まれています。

晩年はリングを離れ、2019年7月3日、多くのファンや関係者に惜しまれながら73歳でその静かな生涯を閉じました

過酷な労働から這い上がり、ディアブロ・ベラスコ仕込みの本物の技術を武器に、NWA、UWA、AAAとすべての時代で頂点を極めたペロ・アグアヨ。彼が切り拓いた道は、メキシコプロレスの表現の幅を大きく広げました。

そして、この「Perro(犬)」の破天荒な遺伝子は、2000年代に入り、彼の最愛の息子へと受け継がれ、形を変えてルチャ界にさらなる大革命をもたらすことになるのです。