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「過去と現在が結ばれる場所。1939年、ルチャの聖地誕生とメキシコが一つになった日」

Hola Amigos!! るちゃ男です。今回はPASIÓN Y GLORIAから歴史的記録を紐解き、メキシコが「近代」へと大きく舵を切った1939年の物語を、おとどけします。

文:るちゃ男yAI記者GEMINI

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1939年、メキシコ。ルチャの聖地と国の鼓動が重なった年

1939年。それは世界が戦火に包まれようとする中、メキシコが独自の文化を花開かせ、現代へとつながる「インフラ」と「伝説」を同時に築き上げた激動の1年でした。

当時のメキシコで何が起き、ルチャリブレがいかにして民衆の心をつかんだのか。歴史の断片を繋ぎ合わせてみましょう。

スペイン内戦の終結と、メキシコに落ちた「知の種」

1939年4月1日、3年に及んだスペイン内戦が終結しました。

  • 内戦の構図: 民主的な「第二共和政政府」と、フランコ将軍率いる「反乱軍(国民軍)」による争いは、フランコ側の勝利で幕を閉じました。
  • 亡命の波: 敗れた共和派の人々に対し、当時のメキシコ大統領ラサロ・カルデナスは積極的に受け入れを表明。約2万5千人のスペイン人がメキシコへ渡りました。
  • コミュニティの影響: 亡命者には多くの知識人詩人芸術家が含まれており、彼らはメキシコで「エル・コレヒオ・デ・メヒコ」などの教育機関や出版社を設立。この「スペイン亡命者のコミュニティ」は、メキシコの学問や芸術を飛躍的に進化させることとなりました。

「アレナ・コリセオ」誕生前夜:ルチャ熱狂の正体

メキシコシティの歴史地区に、今も残る「アレナ・コリセオ」の定礎式が行われたのもこの1939年です。

  • なぜ建てられたのか: 1933年にルチャ・リブレが本格始動してからわずか数年で、爆発的な人気を博しました。それまでの会場(旧アレナ・メヒコ等)では観客を収容しきれなくなったため、近代的な専用会場の建設が急務となりました。
  • ルチャ界の勢い: この年、オクタビオ・ガオナが欧州出身の外国人レスラーガス・カリオを破りメキシコ人初の(旧)NWA世界ミドル級王者となりました。

    国民は「自分たちのスポーツ」としてのルチャに熱狂していました。ルテロス会長は宝くじの当選金を注ぎ込み、「どこからでもリングが近く見える」円形劇場を計画。これが後の「ルチャの聖地」へと繋がります。
オクタビオ・ガオナ
ガス・カリオ
アレナ・コリセオ
当時の建設模様

メキシコを繋いだ「ADO」の第一歩

現在、メキシコ南部を旅するなら誰もがお世話になる長距離バス最大手「ADO(Autobuses de Oriente)」。その伝説も1939年12月23日に始まりました。

  • 最初のルート: メキシコシティを出発し、プエブラ、ペローテ、ハラパを経由してベラクルスへ向かう過酷な路線でした。
  • 当時の状況: わずか6台のバスで、片道の所要時間はなんと9時間以上。舗装も不十分な時代、運転手が荷出しから修理まで全てをこなす文字通りの「挑戦」でした。
  • 現代のADO: 2026年現在、ADOは最新のWi-Fiや豪華リクライニングシートを備えた「プラチナクラス」を運行し、年間数千万人の足を支える巨大企業へと成長しています。
1939年当時の長距離バス:
現代の長距離バス:ADO

るちゃ男の独り言:1939年という「起点」

1939年は、外からの新しい風(スペイン亡命者)と、内なる熱狂(ルチャリブレ)、そして国を繋ぐ道(ADO)が一つに重なった年です。

ルチャがただの興行ではなく、メキシコの歴史そのものと歩んできたことが、この1年を振り返るだけで見えてきます。聖地コリセオの土台には、当時の民衆が抱いた「明日への希望」が埋め込まれているのかもしれません。

「Pasado y presente se unen en un solo sentimiento: ¡México!」
過去と現在が、一つの感情で結ばれる。それがメキシコ

動画元:VideosOficialesCMLL