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【ルチャ秘話1938】怪奇派の祖と国家の激動——現代のメキシコに息づく「情熱と栄光」の歴史

¡Hola Amigos! るちゃ男です。

今回は、CMLL(旧EMLL)が90周年を超える長い歴史の中で、特に「大きな転換点」となった1938年を紹介します。

この年は、リングの上で伝説が生まれただけでなく、メキシコという国自体が自国の誇りを取り戻した、まさに「激動の年」でした。さらには、今のメキシコの街を歩いていても目にする「あの看板」も、この年にルーツがあるんです。

文:るちゃ男yAI記者GEMINI

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聖地を熱狂させた「ルチャ・ブーム」の到来

1938年メキシコにおいてルチャリブレの人気は爆発的なものになっていました。

プロモーターのサルバドール・ルテロス(EMLL)が拠点としていた「旧アレナ・メヒコ」は、連日押し寄せる数千人のファンを収容しきれないほど手狭な場所になっていました。

もっと広い会場を、もっと熱い戦いを!」 そんなファンの渇望に応えるように、1938年のリングにはこれまでにない強烈な個性が現れます。

Cortesía: Facebook Consejo Mundial de Lucha Libre Oficial (22/sept/2015)
出典:CMLL公式Facebook(2015年9月22日の投稿より引用)初代アレナ・メヒコ

最凶の怪奇派「エル・ムルシエラゴ・エンマスカラド」の衝撃

1938年4月3日、一人のレスラーがデビューし、ルチャの歴史を塗り替えました。その名はエル・ムルシエラゴ・エンマスカラド(仮面のコウモリ)

彼は単なる覆面レスラーではありませんでした。

  • 衝撃の演出: 入場時に袋に入れた「本物のコウモリ」をリングに放ち、観客を恐怖と興奮のどん底に突き落としました。
  • ルチャ界のパイオニア: 実は彼こそが、メキシコで「敗者がマスクを脱ぐことを強制された最初のレスラー」と言われています(1940年のオクタビオ・ガオナ戦)。

彼は引退後、俳優や脚本家としてエル・サントの映画に関わり、最終的にはメキシコシティのルチャリブレ協会(コミッショナー)にまで上り詰めました。まさに「知性派ルード」の先駆けだったのです。

エル・ムルシエラゴ エンマスカラード
本名:ホセ・ベラスケス・キンテ‐ロ

現代のメキシコ街角に息づく「1938年の記憶」:PEMEX

ここで少しリングの外に目を向けてみると、

1938年3月18日、メキシコ大統領ラサロ・カルデナスによって「石油国有化」が宣言されました。これによって誕生したのが、メキシコ最大の公社PEMEX(ペトロレオス・メヒカーノス)です。

メキシコを旅行したことがある方なら、緑のロゴのガソリンスタンドを街の至る所で見かけたと思います。

「あ、あそこにもPEMEXがあるな」という日常の風景。 実はこの「自国の資源を自分たちの手に取り戻した誇り」は、ルチャリブレが国民的娯楽として確立されていったプロセスと見事に重なっているんです。

当時は世界的にナチス・ドイツの台頭など不穏な空気が流れていましたが、メキシコの人々は石油国有化で国の誇り」を、そしてルチャリブレで「生きる活力」を得て、激動の時代を力強く生き抜いていました。

歴史が交差する「伝説の師匠」のデビュー

同じ年の4月10日、旧アレナ・メヒコでさらに歴史的な一戦が行われました。

クアウテモク・ベラスコ vs エディ・パロウ

この名前を聞いてピンとくる方は、かなりのルチャ通です。 ベラスコは後に「メキシコ最高の師匠」と呼ばれ、グアダラハラで数多のスターを育て上げる伝説の教官となります。一方のエディ・パロウも、後にEMLLを象徴する名レフェリーとして歴史に名を刻みます。

後にレジェンドとなる若き才能たちが、この1938年に同じリングで火花を散らしていた。これこそが歴史のロマンですよね。

progesor:クワテモク:ベラスコ

まとめ:90年を超えて続く物語

1938年という年は、ルチャが単なる「見世物」から、メキシコのアイデンティティ=文化へと昇華した、情熱と栄光の1ページでした。

今、私たちがメキシコの街角でPEMEXの看板を見上げるとき、その裏側には、旧アレナ・メヒコで本物のコウモリが舞い、若き日の伝説の師匠たちが汗を流した熱い時代があったことを思い出させてくれます。