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【CMLL公式】ミスティコが語る知られざる原点!みちのくプロレス来日秘話

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Hola Amigos!るちゃ男です。

今回は、CMLL公式ポッドキャスト『Esto es Lucha』から、CMLLのスーパースター、ミスティコ(Místico)と、進行役のアレクシス・サラサール(Alexis Salazar)によるインタビューをお届けします。

少年時代の意外なエピソードから、恩師トニー・サラサールとの出会い、日本遠征の衝撃秘話、そして今なお第一線を走り続ける理由まで、熱い対話の模様をお届けします。今回もよろしくお願いします。

文:るちゃ男yAI記者GEMINI

動画元:VideosOficialesCMLL
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父の秘密と「サッカー少年」だった知られざる少年時代

アレクシス: 子供の頃、家には医療用の道具やお医者さんの持ち物、そしてルチャのマスクが一緒にあったそうですね。当時のあなたはその光景を見て、どんなことを考えていたのですか?

ミスティコ: 本当に不思議な感覚でしたよ。昔の偉大なルチャドールたちは、自分の正体や仕事を明かすことをものすごく警戒していましたし、プライドを持って秘密を守っていましたから。 家にはいつも往診カバンのようなものや医療器具があって、私は「父は医者なんだ」と信じ込んでいたんです。ルチャのファンなのか、医者なのか、ルチャドールなのかずっと分からずにいました。

アレクシス: 実際にお父さん(ドクトル・カロンテ)がルチャドールだと気付いたのはいつだったのですか?

「ドクター・カロンテ」は、メキシコプロレスの黄金時代を代表する人物の一人だった。(写真:特別提供)
ミスティコの父:Dr・karonte

ミスティコ: 子供ならではの好奇心で、ある日こっそり父の遠征用バッグを開けてみたんです。そうしたら、マスクだけでなく全身のコスチューム、リングシューズ、タイツ、ガウンまで一式が入っていて……「父はルチャドールだったんだ!」と初めて確信しました。 父に直接「ルチャドールだったの?」と聞いたら最初は否定されましたが、本当に大きな衝撃でしたね。ただ、当時の私はルチャに100%夢中だったわけではなくて、実はプロサッカー選手になりたかったんです。

アレクシス: サッカー選手を目指していた話は有名ですね。テピートのフットサルリーグでも引っ張りだこだったそうですが、どんなプレーヤーだったのですか?

ミスティコ: 私は俊足を活かしてサイドを駆け上がるウィングでした。当時から「人と同じ姿は嫌だ」というこだわりが強くて、髪を伸ばしてツインテールや編み込みにしたり、白や赤、黄色のカラーコンタクトを着けてピッチを走っていたんですよ。みんなに自分を見てほしかったんです。 もし生まれ変わってもルチャドールになって、またサッカーをやります。それくらい愛していましたが、神様は私にルチャリブレという別の道を用意してくれていたんだと思います。

名伯楽トニー・サラサールへの弟子入りと、49kgからの挫折

アレクシス: お父さんもお母さんも、息子たちがルチャリブレの道へ進むことには猛反対だったそうですね。

ミスティコ: ええ、両親とも大反対でした。父がリングでどれほど痛めつけられ、怪我をして苦しんできたかを目の前で見ていた母は、息子たちに同じ思いをさせたくなかったんです。父も「勉強して、きちんとした職業に就いて資格を取れ」と言っていました。 それでも諦めきれず、父に内緒でフライ・トルメンタ神父のところへ通って練習を始めました。神父が父を説得してくれて、最後は母が叔父のトニー・サラサールのところへ連れて行ってくれたんです。

💡 トニー・サラサール(Tony Salazar)とは?
1970〜80年代のEMLL(現CMLL)でNWA世界ミドル級王座を戴冠し、ペロ・アグアヨらと数々の名勝負・カベジェラ戦(髪切りマッチ)を繰り広げた伝説的ルチャドール。
引退後はアレナ・メヒコの専属ヘッドコーチとして、ミスティコはもちろん、ボラドール・ジュニアや自身の息子マグヌスなど数多くのトップ選手を育成。「現代ルチャリブレ界随一の名伯楽」として、現在も選手たちから絶大な尊敬を集めています。

アレクシス: 晴れてCMLLの門を叩いたわけですが、最初はかなり厳しい扱いを受けたと聞きました。

ミスティコ: 当時のCMLLはヘビー級全盛の時代でしたからね。私は身長169cm、体重も当時は49kg〜50kgしかありませんでした。CMLLのジムに初めて行ったときも「小さすぎる」「軽すぎる」と言われましたし、ある先生からは「バッタが跳ね回っているだけで、リングに上がる準備がまるでできていない!」とグループから追い出されたことすらありました。すごく落ち込みましたが、トニー叔父さんは「焦るな、お前には必ずチャンスが来るから準備を続けろ」と励まし続けてくれたんです。

アレクシス: 初期は「アストロボーイ」として兄弟でリングに上がっていましたが、兄弟のどちらが1号でどちらが2号だったのか、ネット上でもよく議論になっていますね。

ミスティコ: 世間では誤解されていることが多いのですが、体が大きく兄である彼が「アストロボーイ2号」で、弟の私が「アストロボーイ1号」でした。 当時の私たちの出番は、日曜興行の開場時間帯に行われる「ルチャ・デ・レガロ(おまけマッチ)」。パンフレットに名前すら載らない、お客さんが席に着き始めたばかりのリングを温める前座でした。それでもリングに立てることが本当に嬉しくて、少しのお客さんや先生方に認めてもらおうと必死に飛び跳ねていましたね。

アストロボーイ
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人生を変えたみちのくプロレス遠征と「ミスティコ」誕生の瞬間

アレクシス: アレナ・コリセオでのデビュー後、トニー・サラサールやアンヘル・アステカの推薦で、日本のみちのくプロレスへ遠征することになりましたね。

ミスティコ: はい。メキシコで送った練習ビデオを見てザ・グレート・サスケさんやMr.Cacaoさんがチャンスをくれたのですが、ビデオのアングルで私の体が大きく見えていたらしく、日本側は「190cm・100kgクラスの大型選手がやって来る」と思い込んでいたそうなんです(笑)。 成田空港に着いて実物を見た関係者は「えっ、こんなに小さいのか……」とかなり困惑した顔をしていました。でも、いざリングに上がって動きを見せると、みんな目を丸くして驚いてくれました。

アレクシス: 日本で名乗ったキャラクターは新幹線をモチーフにした「コマチ」でした。あの遠征ではどんな経験をしましたか?

ミスティコ: ハヤテ、Z、そして私のコマチという3人でしたね。日本での経験は私のキャリアの土台になりました。アトランティスとも日本で初めてじっくり言葉を交わしましたし、4代目タイガーマスク、ディック東郷さん、新崎人生さんといった素晴らしい選手たちと肌を合わせました。 特にECWでも暴れていたサブゥーと初めて戦ったときは、正直に言って本気で恐怖を感じましたよ。でも、あのハードな環境で戦い抜いたことで度胸がつきました。3ヶ月の遠征で体重も50kgから65kgまで増やすことができ、一回り大きくなってメキシコへ帰国することができました。

動画元:覆面MANIA(FUKUMEN MANIA)

アレクシス: そして運命の2004年を迎えます。あの「ミスティコ」のマスクとキャラクターには、どのようにして巡り合ったのでしょうか?

ミスティコ: 当時、アレナ・メヒコのマッチメイク事務所に入ったとき、棚の上に置いてあったあるマスクがずっと気になっていたんです。「あれは誰のマスクなんだろう?」と。 それからしばらくして、パコ・アロンソ社長から「話がある。お前にぴったりの大きなプロジェクトを用意した」と声をかけられました。渡されたのが、まさにあの気になっていたマスクだったんです。運命だったのだと思います。そこから目の縁のラインや輝き、カラーリングを自分好みにアレンジしていきました。

アレクシス: デビュー後、若手登竜門トーナメント「ラ・グラン・アルテルナティバ」で、エル・イホ・デル・サントと組んで出場しましたね。

ミスティコ: サントは私にとって最高の padrino(名付け親・後見人)です。白銀のマスクを被る偉大なレジェンドの隣に立ち、彼のアドバイスを直接受けながら戦えたことは生涯の誇りです。 私がシルバーのコスチュームに強い愛着を持っているのも、サントが導いてくれたあの経験があるからこそです。あそこからミスティコの歴史が一気に動き出しました。

写真元:instagram:puraluchatv

宿敵アベルノの予言と、今も「誰よりも練習し続ける」理由

アレクシス: あなたがまだ若手だった頃、「お前はアレナ・メヒコを満員にする」と予言した人たちがいたそうですね。

ミスティコ: はい、3人います。叔父のトニー・サラサール、日本で出会ったザ・グレート・サスケさん、そしてもう一人がアベルノ(当時はレンコール・ラティーノ)でした。 私がまだデビュー前、アレナ・メヒコのジムで練習していたときにアベルノがふらりとやって来て、トニー叔父さんに「あの若手は誰ですか?」と聞いてリングに上がり、私とスパーリングをしてくれたんです。手合わせを終えたあと、彼は私に「焦るなよ。お前はいずれ、このアレナ・メヒコを超満員にする男になる」と言って立ち去りました。まだ何者でもなかった私は「満員にするなんて、何を言っているんだろう?」と思っていましたが、その予言が現実になったときは本当に感慨深かったです。

アレクシス: アベルノとはデビュー戦(2004年6月18日)から現在に至るまで、世界中で幾度となく激闘を繰り広げてきました。あなたにとって彼はどんな存在ですか?

ミスティコ: 本名レナート・ルイスという男は、リング上で魔法を起こす真のルード(悪役)です。今も肉体・技術ともに衰えを一切見せず、常に進化し続けている怪物ですよ。日本での試合でも「この人は本気で自分を壊しに来ているんじゃないか」と思うほどの気迫を感じました。 彼のような最高のライバルがいたからこそ、私も引き上げられました。いつか決着をつけたい相手としては、メフィストとのマスカラ・コントラ・マスカラ(覆面剥ぎマッチ)を熱望していますし、ボラドール・ジュニアやウルティモ・ゲレーロとの髪切りマッチもいつでも受けて立つ覚悟です。

アレクシス: 現在あなたはマスカラ・ドラダやネオンといった新世代の若手たちと組み、海外マットでもベルトを獲るなどトップに君臨し続けています。若手たちからは「ヘフェ(ボス)」と呼ばれ、心からリスペクトされていますね。

ミスティコ: 若い彼らを見ていると、「世界を獲ってやるんだ」とギラギラしていた若き日の自分を思い出します。かつてサントが私にしてくれたように、今度は私が彼らの背中を押し、最高の舞台へ引き上げたいと思っています。 同時に、彼らと一緒に飛ぶことで、ミスティコ自身も新たな命を吹き込まれ、若返っている感覚があるんです。

アレクシス: 最後にひとつ聞かせてください。毎週金曜のアレナ・メヒコでメインイベントを務め、ルチャドールとしてすべてを手に入れた大スターが、なぜ今も若手に混じって怒られながら練習に通い続けるのでしょうか?

ミスティコ: だからこそ練習を続けるんです。毎週金曜のメインイベントを最高のものにし、トップスターの座を守り続けるために練習しているんです。 「もう十分勝っただろう」と言う人もいますが、チャンスというのはいつ巡ってくるか分かりません。そして、準備というのはチャンスが目の前に来てから始めても絶対に間に合わないんです。私はルチャリブレを心から愛していますし、この情熱がある限り、毎日リングで汗を流し続けますよ。

動画元:VideosOficialesCMLL
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あとがき:控室で見た、真の「スーペル・エストレージャ」の姿

実は僕自身、現役でルチャドールをしていた頃、一度だけミスティコがメインイベントに出場する興行にマッチメイクされたことがありました。

ルチャリブレの控室には、暗黙のルールと厳格な序列が存在します。

僕たち若手や第1試合・第2試合に出場する選手たちは、控室の入り口付近に荷物を下ろして小さく準備を整えます。一方で、セミファイナルやメインイベントを務めるスーペルエストレージャと呼ばれるスター選手たちは、部屋の最深部・奥のスペースに堂々と陣取ってスーツケースを広げるのが習わしです。

その日も、ミスティコは他のトップ選手たちとともに、控室のいちばん奥にスーツケースを広げて試合の準備をしていました。

遠目に見えるその姿に、私は選手であることも忘れ、「うわぁ……本物のミスティコだ!」と、一人の純粋なルチャファンに戻って目を奪われていたのを鮮明に覚えています。

メキシコのルチャ界では、マエストロ(師匠)から「会場に着いたら、控室にいるすべての選手に必ず自分から挨拶をして握手を交わすこと。それがルチャドールとしての絶対の礼儀だ」と厳しく叩き込まれます。

もちろん私も、控室の奥にいるミスティコへ挨拶に行こうとしました。

しかし、彼の周りにはすでに何人もの選手たちが自然と輪を作り、楽しそうに談笑していて、とても新米の若手が割って入れるような雰囲気ではありませんでした。それどころか、その日の興行に出場するほとんどの選手たちが、次から次へと引き寄せられるようにミスティコのもとへ歩み寄り、敬意を込めて挨拶を交わしていたのです。

大勢の選手たちに囲まれ、誰もが自然と頭を下げていくその光景を入り口からじっと眺めていたとき、胸の奥に強い衝撃を受けました。

「ああ、スーパースター(スーペル・エストレージャ)っていうのは、こういう選手のことを言うんだな……」

理屈ではなく、肌でその凄まじいカリスマ性と存在感を思い知らされた、今でも決して忘れられない瞬間です。