スポンサー

【ルチャの聖地】観光客にはお勧めできない、名門一族が守り抜く「魂のリング」を紹介

¡Hola amigos! るちゃ男です。

「メキシコでルチャ観戦といえば、世界最古の団体CMLLの本拠地である大規模なアレナ・メヒコを思い浮かべる方が多いですよね。でも、本当の「ルチャの魂」がどこに宿っているかを知っていますか?

今回ご紹介する会場は、正直に言います。「観光で行くことは、全くお勧めできません。」

場所はメキシコ州の治安が非常に厳しいエリア。観光客や日本人が一人でふらりと立ち寄るには刺激が強すぎる場所です。しかし、そこには日本のプロレスファンなら驚くような名前が冠され、昭和から令和にかけて女子レスラーたちが血と汗を流し、一族の手で守り抜かれてきた凄まじい歴史があります。

ですので、今回は「観戦ガイド」ではなく、あえて「ルチャリブレ会場紹介」という形で、紹介したいと思います。宜しくお願いします。

文:るちゃ男yAI記者GEMINI

スポンサー

ネサの街に根付く「一族の聖地」

今回紹介するルチャリブレ会場は、アステカ・ブドカン。知る人ぞ知る、非常にマニアックな会場です。

このアステカ・ブドカンがあるのは、メキシコシティ東部に隣接するメキシコ州ネサワルコヨトル(通称ネサ)という街です。ここは観光地としての華やかさこそありませんが、地元の人々の生活が濃密に息づく、非常に活気のあるエリアです。

しかし、その活気と背中合わせにあるのが、厳しい治安の現実です。ネサは現地の人でさえ夜間の一人歩きを避けるほど、独特の緊張感が漂う場所でもあります。その街の一角に、確固たる存在感を放って建っているのがこの会場です。

この場所を語る上で欠かせないのが、設立者である故アルフォンソ・モレノ氏から始まる「モレノ・ファミリー」の存在です。彼らは単なる興行主ではなく、この場所に根を張り、自分たちの手でリングを守り続けてきた一族です。

かつて日本の女子プロレスラーたちが遠征し、血と汗を流したこのリングは、現在もモレノ家の姉妹たちやその家族によって維持されています。メジャー団体のような資本の力ではなく、一族の「血」と「誇り」によって運営されているからこそ、ここは特別な場所——すなわち「一族の聖地」と呼ばれているのです。

日本のリングを華やかに彩った「モレノ姉妹」

ルチャファン、そして女子プロレスファンなら、その名を聞いて胸が熱くなるはずです。

  • 長女:ロッシー・モレノ(Hijo De DR.WagnerJrの母)
    アステカ・ブドカンの設立者アルフォンソ・モレノの長女であり、「モレノ姉妹(ロス・モレノ)」の長姉。 1978年にここネサワルコヨトルでデビューしCMLLやAAAで活躍した実力派のルチャドーラです。日本との縁も深く、1980年代には全日本女子プロレスやジャパン女子プロレスのリングに上がり、風間ルミのデビュー戦の相手を務めたことでも知られています。現在はフリーとしてメキシコ国内や米国でも活動する傍ら、一族の柱としてこの会場の歴史を支え続けています
Image
写真元:X:Rossy Moreno luchadora profesional
  • 次女:エステル・モレノ(全日本女子プロレス、アルシオン等で活躍。空中殺法の先駆者)
    モレノ五姉妹の二女。1984年にここアステカ・ブドカンでデビューし、後に女子ルチャの地位向上に尽力した人物です。
    日本との縁は姉のロッシー以上に深く、1986年に全日本女子プロレスへ留学。以来、JWPやアルシオンなど数多くのリングに上がり、長年にわたり日本の女子プロレス界で活躍しました。その確かな技術と日本での経験は、現在も一族が運営するこの会場の「プロフェッショナルな空気」を支える大きな柱となっています。
写真の説明はありません。
写真元:Mexican Rare Groove :エステル・モレノ
  • 三女:シンティア・モレノ(AAAや日本マットで華麗なルチャを披露)
    モレノ五姉妹の三女。1987年にデビューし、姉のロッシーやエステルとともにメキシコ・女子ルチャ界の黄金期を支えた実力者です。
    彼女もまた、全日本女子プロレスへの参戦経験を持ち、日本の女子プロレスファンにはおなじみの存在。AAAなどのメジャー団体でも、姉妹でのタッグや抗争を通じてその名を轟かせました。一族が守るこのアステカ・ブドカンのリングにおいても、その華やかなファイトスタイルで多くの観客を魅了し、一族の伝統を次世代へと繋ぐ役割を果たしています。
写真:lucha.calienteシンティア・モレノ
  • 四女:アルダ・モレノ
    モレノ五姉妹の四女。1980年代後半にデビューし、姉たちと同じくメキシコのメジャー団体AAAを主戦場に活躍しました。
    日本との関わりも深く、1990年代にはJd’に参戦し、姉のエステルとの姉妹タッグや対決でファンを沸かせました。また、全日本女子プロレスでは「ペケーニャ・アステカ」という名のマスクウーマンとしてもリングに上がり、当時のタイトル戦にも絡むなど、その高い技術力は日本の関係者からも高く評価されていました。
    姉たちと共に「アステカ・ブドカン」という一族の誇りを背負い、現在もその歴史の一部として、この会場の血統を支える大切な一人です。
写真の説明はありません。
写真元:Revista Box y Lucha:アルダ・モレノ
  • オリエンタル(Oriental)
    モレノ家の末弟。1992年にこのアステカ・ブドカンでデビューし、一族の看板を背負ってメキシコ・マット界を席巻した実力派ルチャドールです。
    姉たちと同様に日本との繋がりが非常に深く、1990年代から2000年代にかけて「みちのくプロレス」「大阪プロレス」といった日本のインディー・プロレス界を盛り上げた主要な外国人レスラーの一人です。その華麗な飛び技と確かなレスリング技術で、当時のファンに強い印象を残しました。
    彼は現在もこのアステカ・ブドカンを拠点に、一族が守り続けてきたリングの歴史を次世代へと繋ぐ中心的な役割を担っています。
写真元:Lucha Libre Cd. Victoria

創設者レイ・モレノの情熱:なぜメキシコに「ブドカン」なのか?

この会場の歴史を語る上で欠かせないのが、モレノ姉妹の父であり、創設者のアルフォンソ・モレノ(リングネーム:エル・アコラサード)です。

装甲艦」の異名を持つ実力派レスラーであり、名指導者でもあった彼は、1964年の東京オリンピックに深い感銘を受けました。日本の「武道(Budo)」の精神、そしてその聖地である「日本武道館」の威厳に敬意を表し、自分のアレナにその名を冠したのです。

当時、彼がアレナを建てた「ネサワルコヨトル(通称ネサ)」地区は、インフラも整わない土埃の舞う荒野でした。娯楽の少ないこの過酷な地で、住民に希望を与えるべく、彼は家族総出で立ち上がります。

動画元:Arena Azteca Budokan:ドキュメンタリー・アレナ アステカ ブドカン

レンガ一つから積み上げた「手作りのアレナ」

アステカ・ブドカンは、潤沢な資金で作られたスタジアムではありません。 アルフォンソ氏と妻、そして幼い頃のエステルたち姉妹が、自分たちの手でレンガを運び、セメントを練って、少しずつ作り上げた「手作りの会場」なのです。

驚くべきことに、ここはモレノ家の「自宅」でもあります。 自分たちの生活の場をリングに変え、一族の血と汗で守り続けてきた。会場の壁ひとつひとつに、家族が戦ってきた歴史が染み付いています

これもルチャリブレ

世界を見渡せば、CMLLAAAといった巨大団体が、洗練されたエンターテインメントとして世界基準のルチャリブレを届けています。

しかし、その一方で、こうして家族で会場を運営し、地元の人々に愛され、「ルチャリブレが好きだからこそ」やっていける状況。これもまたルチャリブレであり、むしろこれこそがルチャの原点だと僕は思います。

観光地としてはお勧めしません。けれど、もしあなたが「ルチャリブレの魂」に触れたいと願うなら、この不器用で温かい手作りの聖地を忘れないでください。

大手団体の華やかな空中戦もルチャリブレ。 そして、この泥臭くも愛に溢れた家族の物語もまた、紛れもないルチャリブレなのです。

動画元:33-12 tv