【CMLL】全日本退団!新し道を探しいざメキシコCMLLへ!‐不屈のプロレス人生(3)-

Hola Amigos!るちゃ男です。

前回のインタビューでは、馬場元子さんからの熱い誘いで、オクムラ選手が全日本プロレスへの再起を誓うまでをお届けしました。

今回は、その再入団から物語が大きく動き出します。 安定した日本でのキャリアを捨て、なぜ彼は言葉も通じない未知の国・メキシコへと向かったのか?

そこには「誰もやっていないことに挑戦したい」という熱い志と、到着早々に待ち受けていた想像を絶する洗礼の数々がありました。 爆笑と苦労の連続だった渡墨初期のエピソードをたっぷりと語っていただきした!今回もよろしくお願いします。

文章:るちゃ男yAI記者GEMINI

全日本プロレスへの正式入団と「武藤体制」の幕開け

アレクシス: 前回は、馬場元子さんからの直接の誘いで再び全日本プロレスのリングに上がることになった経緯までお聞きしました。その後、正式に入団されたんですよね。

奥村: はい。2000年10月に、正式に全日本プロレスの一員として迎えられました。当時は全日本が大きく揺れていた時期でしたが、その後、新日本プロレスから武藤敬司さん、小島聡さんといったスター選手たちが移籍してきて、ガラッと雰囲気が変わりました。

アレクシス: 団体の顔ぶれが劇的に変わった時期ですね。

奥村: そうなんです。武藤さんが社長になり、やがてオーナーにもなりました。私は馬場夫妻には恩義を感じていましたが、武藤さんとも関係は良好でした。ただ、自分の中で「このままでいいのか」という思いが芽生え始めていたんです。

全日本プロレス
・1972年に伝説のプロレスラー、ジャイアント馬場が設立した日本のプロレス団体。重厚で本格的な試合スタイルで人気を集め、日本を代表する団体の一つになりました。
1999年に馬場が亡くなると、団体はエースだった三沢光晴を中心に運営されるようになります。しかし、馬場の妻で団体を支えていた馬場元子氏との経営方針の違いが表面化します。その結果、2000年に三沢をはじめ、多くの主力選手が全日本を離脱。
2002年に元・新日本プロレスのスター選手武藤敬司が全日本プロレスに加入、さらに同じ頃、実力派レスラーの小島聡も入団し、団体の中心選手となります。そして武藤選手は経営にも関わるようになり、全日本プロレスのオーナーとなって団体を立て直します。

決意の退団、そして師匠・栗栖正伸からの意外な助言

奥村: 2004年3月、私は全日本を去る決意を固め、武藤さんに伝えました。円満な退団でした。その後、自分の原点である師匠の栗栖正伸さんに報告に行ったんです。

アレクシス: 師匠は何とおっしゃったんですか?

奥村: 開口一番、「なぜ辞めたんだ!」と驚かれましたね。「新しい道を探したい」と伝えると、師匠は突然「メキシコへ行け。俺はクロネコ(ブラック・キャット)と親友なんだ」と言い出したんです。最初は断ったんですよ。自分のスタイルはメキシコとは違うと思っていましたから。でも、師匠は何度も「会うだけならタダだ、練習だけでも損はない」と背中を押し続けてくれました。

クロネコ氏との出会い、CMLLという未知の世界へ

アレクシス: そこで、新日本プロレスとメキシコの架け橋だったクロネコさんに会われたのですね。

奥村: はい。師匠の栗栖さんから「親友のクロネコがお前を受け入れてくれると言っているから、会いに行け」と言われたのがきっかけでした。それで、クロネコさんと食事に行くことになったんです。

アレクシス: どのような話をされたのですか?

オクムラ: 彼はこう言ってくれました。「俺は新日本の人間でお前は全日本にいたけれど、そんなことは関係ない。栗栖は俺の親友だし、彼から頼まれたんだから、お前のことは全力でサポートするよ」と。

アレクシス: 師匠同士のつながりが、オクムラさんの新しい道を作ったのですね。

奥村: そうですね。でも、温かい言葉だけでなく、厳しいアドバイスもありました。「2、3ヶ月で帰るような中途半端な気持ちなら、お前のためにも会社のためにもならない。行くなら最低でも1年は頑張る覚悟を持て」と言われました。

アレクシス: 「1年」というのは、大きな決断だったのではないですか?

奥村: 正直、1年は長いなと感じました。しかし「人生は一度きりだし、他の誰とも違うことをやってみよう」という気持ちが固まりました。1年という期間、とにかく新しい環境で自分を試してみたくなったんです。

ー後編へ

日本とメキシコの懸け橋「クロネコ(ブラック・キャット)」
本名・出身: ビクトル・マヌエル・マル(メキシコシティ出身)
来日と活躍: 1981年に新日本プロレスへ「留学生」として初来日。以来、日本に定着して所属選手となり、ライガー選手ら多くの若手の壁として活躍しました。
功績: 引退後はブッカー(渉外担当)として、新日本とCMLLの強固な提携関係を築き上げた最大の功労者です。
CMLLの現役ファミリー: 彼の遺志を継ぐスティグマ(Stigma)エスカンダロ(Skándalo)が活躍中。
・2006年に急逝されましたが、オクムラ選手をメキシコへ導いたように、今も両国の絆を支え続ける伝説的な存在です。